夕食を作りながら、考えた無意識の話。

娘と、明日の夕食のためにけんちん汁を作りました。僕の作るけんちん汁は、味噌仕立てです。一般の料理の本に載っているレシピとは、違うかもしれません。

子供の頃、母が作ってくれたのが味噌仕立てのけんちん汁で、僕はそれが好きで、冬になると作ります。

母をとり立てて意識するわけではないのですが、僕が今でも料理をしたり、掃除をしたり、洗濯をしたりするのは、きっと母の姿を覚えていて、その姿をかっこいいと思ったからです。無意識の記憶が、確かに影響している。

僕たちには、意識できない深層の意識の中に、いろいろな記憶を持っているものです。

今の現代、どれだけ合理的にクールに考えるのが大事だとわかっていても、ふと「短歌」を聞いて切なくなったり、落語の江戸っ子の人情噺に、妙に共感したりする。普段は意識しない「平安」や「江戸」の記憶がふと、頭をもたげるからです。きっともっと昔の記憶も、僕らの中には積もっています。

僕たちには国の共有として何層にも積み重ねてきた記憶があるわけですが、もしもそれをみんな無視すると、きっとビジネスはうまくいかないと感じるでしょう(何か大切なものが欠落しているように感じて、物足りない)。

同時に、

ちゃんと意識するビジネスは、なんだかとてもうまくいっているように思います(経験から、思うことです)。

僕らが深層にどんな記憶を持っているのか。深層だけに、それは普段意識しようがないけれど、確かに存在しているでしょう。そしてその記憶は、実はとても大切なことなのかもしれない、と思います。