アートディレクターの森本 千絵さんが、好きです。
森本さんは、たとえばミスチルやゆず、松任谷由実さんのアルバムジャケットを作っていたり、組曲やフランク・ミューラーなど、さまざまな企業の広告を作っています。
goen 〈https://www.goen-goen.co.jp/works/m-mr-07 〉 より引用
森本さんの作品は、受け取る人が自分で解釈する「余白」のようなものが残っていて、見るほどに「もっと見ていたい」と思います。
その「余白」はきっと、一つ一つの作品を、IllustratorやPhotoshop上で作るのではなくて、実際に現場で立体物を作って撮影しているからだと想像します。
現物を実際に作るから、物の配置に少しずつゆらぎがうまれて、解釈の最後に余白を生む(のでは)。
僕は時間を作っては、美術館や写真展に行きますが、
それと同じような気持ちで、仕事の合間に森本さんの作品集を眺めます。
本当に素敵です。
男性社会に、女性だけの広告代理店会社をつくる。
そんな「広告と女性」のつながりで思い出すのが、フィンランドの起業家キルスティ・パーッカネンです。
1960年代、これから女性の権利が認められようとしている時代に、広告代理店を創業して活躍しました。
当時は「女性が女性だけでレストランに入っても、品位は落ちない」なんて、わざわざ団体が声明を出さないといけないような時代です。
その中にあって彼女が作ったのは、「女性だけの広告代理店」。
当時男性主体だった広告ビジネスですが(今もそう?)、モノを買う決断の多くは女性がします。女性だけがする買い物もあります。
キルスティの言葉を借りるならば、男性上司に「月経とはナプキンを当てて治療する病気ではない、と説明しなければいけない」時代だったから、女性が作る広告が意味があると考えたのです。
彼女は、作った会社の名前を「ウォメナ」にしました。フィンランド語の「Omena(りんご)」と「Woman』をかけて。
そして創業後「今日はりんご(Omena)、明日はウォメナ(Womena)」というコピーで、「リンゴを入れたダイレクトメール」を送りました。
アダムとイヴの物語をひきあいに、「女性は、大昔からセールストークが上手」と手紙を添えて。
時代もあったのでしょうが、クリエイティブなダイレクトメールに、多くの会社が惹かれ、送付数の6% 、35の会社と契約に至ったそうです。
魅力の源泉に、女性の感性をおく。
僕は、今でも広告業界など「デザインが重要なビジネス」で「女性だけの会社」は、おもしろい差別化の要因になるのではないかと感じることがあります。それは、女性のつくる表現が、男性には作れないなと思うことがあるからです。
たとえば僕はAppleのデザインが好きです。シンプルでかわいらしさがある。抑制の効い表現は、とても素敵です。
そして、Appleが隆盛を極めたあと、「シンプル」「抑制」「洗練」されたデザインが増えました。もちろん、どれも素敵です。
でも、この文章の冒頭に紹介した森本さんの表現と比べると、どこか男性的だなと感じることがあります。伝えたいことが絞られている。
でも、森本さんの作品は、紙面や画面いっぱいに表現されていて、宝石箱をひっくり返したよう。楽しい表現です。こういう(いい意味で)ごちゃごちゃな表現、男性に作れない気がする。
男性が「女性が喜びそうな、かわいいっぽいデザインをする」ものは多くありますが、本当に女性が作る「かわいい」とか「素敵」は、いつもまったく違うと思います。
「男性的なデザイン(っぽいもの)」ばかりの業界は、少なくないでしょう。ぱっと思い浮かぶ領域だと、住宅系とか、素敵なデザインはあるけど「男が作ったぜ」というデザインが多い感じがします。
(少し前に知り合いが家を作りました。奥様が自分の部屋を全部真っ白にしたのをみて、僕にはできない発想だと思いました。すごい素敵でかわいらしい)
「ただ違うだけ」では差別化にはなりませんが、
いろいろな業界で「女性が表現する」ことで差別化になると感じます。
キルスティのような「女性だけの会社」が、あたらしいデザイン的な価値を、様々な業界で生み出すとより多様な世界になりそうな気がします。