東京・吉祥寺に小笹という和菓子店があります。
たった1坪の店舗で、年商3億円を超える売上をあげる。数十年間、1日も途切れることなく早朝行列ができて、開店前にはその日の限定50本の羊羹の予約は終了します。
興味が手伝って、僕も一度だけ、小笹の行列に並んだことがあります。午前5時台の早い電車に乗って吉祥寺に行き、到着。その時にはもう、行列ができていました。
「買えるかな」
少し心配したけれど、前に並ぶ方々の人数を数えると、どうやらまだセーフそうでした。僕は本を読みながら、整理券が配られるのを待ちました。整理券が配られると、列から離れることができます。そのあと開店の10時になって、やっと念願の羊羹を手に入れたのでした。(おいしくいただきました)
小笹の羊羹は、先代の創業者さんが、戦後の復興の時期に開発したと知られています。
当時有名だったいくつかの和菓子屋さんの羊羹を食べ歩き、「あそこは甘さがこうで」「あっちは硬さがこうだった」と分析して、それぞれの羊羹の「あいだ」を狙って作ったそうです。
(僕はこの話が好きです。それは、いいものといいものの「あいだ」には、正解が隠れていることが多くて、そのことを思い出すからです。たとえば、ディズニーとキッザニアの間を考えると、新しい可能性を見つけられそうな気がしませんか)
さて。
小笹に行列ができるのは、朝だけではありません。昼間、吉祥寺のハーモニカ横丁を散歩していると、やはり行列になっています。
「羊羹は朝売り切れているはずなのに、なぜ?」
それは、羊羹と同じ小豆を使った”最中(もなか)”を売っているからです。
羊羹は特別で作ることができる量が限られるけれど、最中はそれより多く作れるそうですその最中を求めて、たくさんの人が集まります。
ひとつの見方として・・・
数量の限られる羊羹で多くの人に知られて、
最中が多くの人に広がっていく。
「とても良くできた形」だと思います。
ただ、この形は、戦略的に考えるとかそういうふうにできあがったものではなくて、「過去形で考える」から生まれた形だと思っています(僕が思っているだけかもしれないけれど)。
過去形で考える
たとえばパタゴニアの創業者イヴォン・シュイナード氏は、パタゴニア創業の前、ひとりの登山家でした。1度使うと壊れてしまう粗悪なピトン(岩肌に打ち付けて使う、登山道具です)に嫌気がさして、自分や自分の周囲の人が使うために、壊れにくい品質の良いピトンを作りました。
その商品は、友人から友人へ広がり、自然と大きなサイズの「ビジネス」になっていきます。
イヴォン氏は、結果的にはその商品の販売はやめますが(岩肌が削られる様子に耐えられなかったと記述しています)、「ビジネスにしようとしたわけではなかったけれど、結果的にうまくいって」、生まれたのが世界的に敬意を払われているビジネスです。
この例だけでなくていいビジネスは、「結果的にうまくいった」ものを、うまく活かしていることが多いようです。
「未来に向かって意気込む」というよりも、あるいは、「うまく広がらないものを無理に広げようと躍起になる」というよりも、「広がったものを、広げていく」。
まるで過去を見て、たしかにうまくいったことを確認してから動くようです。なので、僕はその経営のスタンスを「過去形で考える」と呼んでいます。
小笹も、同じではないかと思います。
「おいしい羊羹ができて人気が出る」「けれど、この味は工場化し、自動化しては作れない」「結果的に数量が限定になる」「味と共に、希少性の価値が持続する」「買いたいのに、買えないひとは増える」「買いたいと言ってくれるお客さんの声が、幾重にも届く」「最中ならば、と始める」「それがまた、大きく広がっていく」。
あえてこういう言葉を使うならば「粗野に」事業広げようとするのではなくて、お客さんがよろこんでくれる事業の核を大切にして、お客さんの声に耳を傾ける。そういう姿勢が事業をうまくいかせていると感じます。
こんなことを書いていたら、あの味が思い出されます。
吉井